「そうそう、あなたはセヴィニエ夫人をお読みですのね。はじめてお着きになった日から、あなたがその「手紙」をおもちになっているのをお見かけしています。娘のことをいつもあのように気にかけるのはすこし大げさだとお思いになりませんかしら。あまり言い過ぎるとかえって真情が出ませんのね。自然らしさがかけるのですわ」祖母は議論しても無駄だと思った、そしてわかりもしない人のまえで、自分が愛しているものの話をしなくてはならない羽目に陥るのを避けるために、「ボーセルジャン夫人の回想録」をハンドバッグの下に隠した。
p.15、マルセル・プルースト(井上究一郎訳)、失われた時を求めて 第2篇 花咲く乙女たちのかげに I
そうしたすべてが感受性に富んだ知識人のまえにじつに奥深い一つの世界をつくりだすので、彼の嫉妬は、その深さをはかってみたい欲望にとらえられるのであろうし、その深さは彼の理知の興味をそそらずにはいられない。まさにそのような人間であったというわけではないが、おそらく私は、アルベルチーヌが死んでしまったいま、彼女の生活の秘密を知ろうとしているのであろう。しかし、そのこと、すなわち、ある人の秘密をあばこうとする行為がその人の地上の生活のおわったあとでしか起こっていないということは、われわれが心の底では誰も来世を信じていなことを証明するものではないだろうか?もしそんなふうにしてあばかれる秘密が真実であるならば、われわれは女が生きていたあいだは彼女の秘密をかくす義務があると思っていた場合とおなじように、天国で彼女と再会するであろう日にも、その行動をあばかれた女のうらみをおそれなくてはならないであろう。またもしそんなふうにしてあばかれる秘密が虚偽でありつくりごとであるならば、女はもう生きていなくてそれを否定することができないのだから、われわれは、もし天国を信じるなら、死んだ女のいかりをなおさらおそれなくてはならないだろう。ところが、われわれは誰も天国を信じてはいないのだ。
p.360、マルセル・プルースト(井上究一郎訳)、失われた時を求めて 第9篇 逃げさる女
おそらく彼も、はじめは、彼の真価を理解しなかったり彼の感情を害したりした人々にたいして、自分の作品で、遠くから呼びかけていること、自分についてもっと高尚な観念を抱かせようとしていることを考えて、孤独のなかで楽しみを感じたことだろう。たぶんそのころは、他の人々に無関心になるためでなく、他の人々を愛するために、ひとりで生きてきたのだろう、たとえば私が、他日もっと好調な旗色のもとにジルベルトのまえに姿をあらわそうとして、いったん彼女をあきらめたように、エルスチールもまた、ある人々のところにいずれ帰ってゆくためにー彼自身がふたたび姿をあらわさなくても、人々から愛され、讃美され、語りぐさにされるためにーその作品をかいていた。あきらめはかならずしもはじめから一貫したものではない、たとえ病人、修道士、芸術家、英雄のあきらめであっても、はじめは、それまでの古い気持ちで、それを決心するのであって、あきらめがわれわれに反作用をおよぼすのはあとからである。しかし、ある人々を目あてに作品をつくろうと考えていたとしても、いざそれを制作する場合の彼は、社会を遠く離れ、それに無関心になり、ひたすら自分自身のために生きたのであって、孤独の実行が孤独愛をもたらしたのであった、そういうことはよくあることで、大きなことははじめから怖くて手が出ない、というのも、自分の愛着しているもっと小さなことにうまく折り合いがつかないのではなくてそれから開放されてゆくのである。大きなことを知るのに先立って、われわれのなすべきことは、 その大きなことと、その大きなことを知ってしまった場合にすぐに快楽ではなくなってしまうような快楽とのあいだに、どの程度折り合いをつけることができる
p.235、マルセイ・プルースト(井上究一郎訳)、失われた時を求めて 第3篇 花咲く乙女たちのかげに II 
そればかりか、ある時期にわれわれがみたある物、われわれが読んだある本は、われわれのまわりにあったものにだけいつまでもむすびついているわけではなく、当時のわれわれがあった状態にも忠実にむすびついている。それがふたたびわれわれの手にもどるのは、もはや当時のわれわれの感受性、または当時のわれわれ自身によってでしかありえない。私が図書館にはいって、他の思考をつづけていても、「フランソワ・ル・シャンピ」をふたたび手にとると、ただちに私のなかに一人の少年がたちあがり、私の位置にとってかわる。そんな少年だけが、ただひとり、「フランソワ・ル・シャンピ」という表題を読む権利をもっている、そしてそのときの庭の天気と同じ印象、土地や生活についてそのころ抱いていた夢とおなじ夢、あすへのおなじ苦悩とともに、そのときに読んだ通りに、彼はそれを読むのだ。私がもしちがったときのある事物をふたたび目に見るとしたら、そのとき立ち上がるのは、また一人の年少者であるだろう。きょうの私自身は、見すてられた一つの石切場にすぎず、その私自身はこう思いこんでいる、この石切場よりに転がっているものは、みんな似たりよったこといであり、同一調子のものばかりだと。ところが、そこから、一つ一つの回想が、まるでギリシアの彫刻家のように、無数の像を切り出すのだ。私はいおう、ーわれわれがふたたび見る一つ一つをお事物が、無数の像を切り出す、と。たとえば、本は、その点に関しては、事物としてこんなはたらきをする、すなわち、その背の網目のひらきかたとか、その髪質のきめとかは、それぞれのなかに、りっぱに一つの回想を保存していたのであって、当時の私がヴェネツィアをどんなふうに想像していたか、そこに行きたいという欲望がどんなだったか、といったことのその回想は、本の文章そのものとおなじほど生き生きしている。いや、それ以上に生き生きしているとさえいえおう、なぜなら、文章のほうは、ときどき傷害を来すからで、たとえばある人の写真をまえにしてその人を思い出そうとするのは、その人のことを思うだけでがまんしているときよりも、かえってうまく行かないのである。
p.347、マルセイ・プルースト(井上究一郎訳)、失われた時を求めて 第10篇 見出された時
しかもその夜は、おそらく、私の生涯で、もっとも甘美な、そしてもっとも悲しい夜であった。その夜私は、ああ!(神秘なゲルマント一族が、私にはとうてい近よれないもののように思われていた一時代であった)、両親から、権威の最初の放棄を獲得したのだった、その時点に、私の健康と意志の減退や、困難なつとめへの日増しに強まる私の断念を、さかのぼらせることができるのであった、ーそのような本が、きょうのこの日に、まさしくゲルマントの図書館のなかで、また私の生涯の目的を、おそらくは芸術の目的をさえも、突然照らし出したのであった。書物の特製造本にしても、それが生きた意義をもつならば、やはり私はそれに興味を感じることができたであろう。ある著作の初版が、他の版よりも私にたいせつになる、ということもあっただろう、しかしそれは、私がはじめてその著作をよんだ版が初版であったという意味においてであろう。私が初版本を求めるとすれば、私が意味する初版本は、その版によって私がその書物のオリジナルな印象をもった、そんな版になるだろう。なぜならそれ以後の版は、もはやオリジナルな印象をもった、そんな小説にたいして私が昔の装幀を蒐集するとしたら、私が読んだ最初の小説類の当時の装幀、パパがあんなにたびたび、「からだをまっすぐにして」と私に注意することおをきいていた装幀を蒐集するだろう。われわれがはじめて女に会ったときだその女が着ていたドレスのように、そのような装幀は、そのときに私が抱いた愛とそのときの私の目に映じた美とをふたたび見出すためのたすけになるだろう、そんな最初の美の映像をふたたび見出そうとして、私はその美の上にこれまで
あのように多くの映像を、それもそのたびに愛がうすれてゆく映像を、かさねてきたのだった。しかしそんな私はもう最初の美の映像を見たときの私ではないのである。同時の私の自我が親しく知ったそんな事物でいまの私の自我が知らない事物を、いまの自我が思いだすには、いまの自我は、どうしても当時の自我に場所をゆずらないとならないのだ。
p.350、マルセイ・プルースト(井上究一郎訳)、失われた時を求めて 第10篇 見出された時
ああ!どんな高い理性も心のなぐさめとならず、体の調子がよく気分が静かで、なんとなくぶらぶら遊んでいるときだけが心たのしい私、そんな私に、彼のいうことは、なんとあてはまらない気がしたことであろう。自分で人生に望むものがいかに形状学的なものにすぎないかを私はよく感じていたし、理知などなくともいっこうに平気であると思われるのであった。まちまちのみなもとからやってくる快楽、それが深いものか浅いものか、長つづきするものか短いものか、そういった区別をつけることができなかった私は、彼の言葉を答えようとするとき、こう考えた、自分が望ましいのは、ゲルマント公爵夫人と親しくできるような生活とか、シャン=ゼリぜの入市税納付所であったあの有料便所のように、コンブレーを思い出させるあのひんやりとした匂いをたびたび嗅ぐことができるような生活とかであるのかもしれない、と。ところで、さすがにうちあけかねたそんな生活の理想には、理知の快楽などは私にはどんな位置も占めていないのであった。
p.241、マルセイ・プルースト(井上究一郎訳)、失われた時を求めて 第2篇 花咲く乙女たちのかげに I
私は思い浮かべるのだった、彼がはじめてバルベックにやってきたとき、白っぽいウール地の服を着て、海のようにみどりがかったよく動く目をして、ガラス戸が海に面している大食堂に隣接したロビーを横切っていった姿を。私は思い浮かべるのだった、そのとき私の目に映ったいかにも特別な人間、そういう相手と友達になることが私にとってあんなにも大きなねがいであったあの人間を。そのねがいは、私の予想しえた限度をはるかに越えて実現したのだったが、そのときは、しかしほとんどどんなたのしみももたらさなかった、そして、あのエレガントな外観がかくしていたすべてのすぐれた価値はもとより、その他さまざまの事柄に私が気がついたのは、あとになってからだった。よいものもわるいものもふくめて、そうしたすべてを彼はふんだんに、毎日のようにもたらしたのだった、そして彼が自分のもっているすべてのもののなかの最後のものをもたらしたのは、あたかもいつかの夜、私が席を動かなくていいように、自分から彼がレストランの長椅子の上をつたって私のところへとびこんできたときのように、彼が鷹揚な心と、他社への奉仕とから、ある塹壕に突撃していったときだった。それにしても、バルベックのあのロビー、リヴベルのカフェ、ドンシエールの騎兵隊の営舎と将校たちの晩餐の席、彼があるジャーナリストに平手打ちを食らわせた劇場、ゲルマント大公夫人邸、といったあのようなまちまちな地点で、あのように多くの間隔をおいたあのようにさまざまな状況のなかで、結局私はあのようにわずかしか彼に会わなかったけれども、かえってそのことが、彼の生前の生活からより鮮明な、より明確な画面を私の目に描かせ、彼の死から、より明瞭な悲しみを私に与えるのであった。相手を愛する度合いは強くても、われわれは、あまりしげしげ会っていると、その相手から抱く映像は、差異のほとんど感じられない無数の映像の漠然とした平均値でしかなくなるのであり、また愛情がいつも満たされていると、それよりももっと大きな愛情の可能性を夢みることはなくなるのであって、たとえば、双方の意志に反したかけちがいで不首尾な出会いをかさねているあいだに、結局かぎられたわずかな時間しか顔を合わせなかった人たちは、そんな外的状況にさまたげられたというだけで、相手への愛情はますます大きくなったであろう。
p.281、マルセイ・プルースト(井上究一郎訳)、失われた時を求めて 第10篇 見出された時
人生がわれわれに差し出した一つの映像は、じつはそのようなとき、さまざまにまじりあったいくつもの感覚をわれわれにもたらしていたのだ。たとえば、以前に読んだある本の表紙は、それを目にしたとたんに、その表題の文字のなかに、夏の遠い一夜の月光をさっと織りこんだ。朝のカフェ・オ・レの味は、われわれに晴天のばくとした希望をもたらす。その希望は、われわれが、クリーム状にプリーツがついて、かたまった牛乳のように見えた白磁のボウルで、カフェ・オ・レを飲んでいて、その日がそっくりそのままわれわれのまえに残されていたとき、早朝の不確かな薄明かりのなかで、かつて何度もわれわれにほほえみはじめたのであった。一時間は、一時間でしかないのではない、それは、匂いと、音と、計画と、気候とに満たされた瓶である。われわれが現実と称するものは、われわれを同時的にとりまいているそれらの感覚とそれらの回想とのあいだの、一種の関係なのだー単なる映画の私蔵からはオミットされる関係であって、映画の視蔵は、真実なものだけにとどめようとするから、よけいに真実なものから遠ざかることになるーそれは作家が、自分の文章のなかで、二つの異なる名辞をそれでもってつなぐために見出さなくてはならない唯一の関係なのだ。
(略)
いや、それだけではなかった。もし現実が各人にとってほぼ同一の経験の残り滓、たとえば、われわれが日常の会話で口にしていて、誰にもわれわれのいう意味がわかる、あいにくな天気とか、戦争とか、バスの停留所とか、灯の明るいレストランとか、花が咲いている庭とかいった、そういう種類のものが、現実だとすれば、むろんそれらの物を撮影した一種の映画フィルムだけで十分だろうし、「文体」だの、「文学」だのは、それらの物が提供する手軽なデータからますます遠ざけられ、技巧を凝らした、よけいなつけたしになってしまうだろう。しかも、それらの物がはたして現実であったか?あるものがわれわれにある種の印象を与えるときに、たとえば、ヴィヴォーヌ川の橋を渡りながら、水に映る雲の影に、私がよろこびでとびあがって「ちぇっ!」と叫んだあの日のようなときとか、ベルゴットの口から出てくるある文句をききながら、その本人の印象から私が読みとったものは、何一つ「これはすばらしい」などと、こたさらいうふうにふさわしいものではなかったときとか、相手のいまいましいでかたに腹を立てたブロックが、そのような俗っぽい一件に全然ふさわしくなかった言葉、「ああいうことをやるのも、ぼくはやっぱり、す、す、すてきだと思うよ」を口にしたときとか、あるいはまた、ゲルマント家で歓待されていい気持ちになったうえに、出された上等のワインにほろ酔いきげんになった私が、帰りがけに、一人で、「やっぱり気持ちのいい人たちだ、あのような人たちと人生を過ごすならたのしいだろうに」と、小声でつぶやかずにはいられなかったときとかに、実際に起こっているのははたしてなんであるかを私がはっきりつかもうと試みていたら、私はつぎのことに気づいていたはずだった、
p.354、マルセイ・プルースト(井上究一郎訳)、失われた時を求めて 第10篇 見出された時
私はこのときの退出のことがいまでもそっくり目に浮かぶ、このような階段の上にサガン大公を置くのは額縁からはずした肖像画のようで当をえないかもしれないが、そのサガン大公の姿がありありと私の目に浮かぶ、大公にとってはこれが社交生活の最後の夜会になったのであった、その大公は、公爵夫人に敬意を表すために帽子をぬいで、胸のボタンホールにさしたくちなしの花とよくマッチする白い手袋をはめた手をあげて、そのシルクハットをゆったりと大きくまわしたので、それがアンシアン・レジムの羽かざりをつけたフェルト帽でなかったのがふしぎに思われたほどであった、この大貴族の顔のなかには、アンシアン・レジムの幾多の先祖の顔が正確に再現されていた。彼は公爵夫人のまえにはほんのしばらくしかとどまらなかったが、たとえ一瞬であっても、彼のポーズは、完全な一幅の活人画、歴史的な一情景ともいうべきものを構成するのに十分であった。それにまた、彼はそれからあとで死んだのだし、生前はちらと見かけたにすぎなかったのだから、私にとって彼はまったくの歴史の一人物、すくなくとも社交界の歴史的な人物をいなってしまい、私が知っているある女性や男性が彼の妹であったり甥であったりするのを考えると、ふしぎになることがあるのだ。
p.207、マルセイ・プルースト(井上究一郎訳)、失われた時を求めて 第6篇 ソドムとゴモラ I
「どんな賢人でも」と彼がいった、「その若いころのある時期に、あとで思い出しても不愉快な、できることならそんな思い出を記憶から消し去ってしまいたちと思う言葉を口にしたり、できることならそんな生活を送ったりしなかった人は、一人もいませんね。だが、それは絶対に公開すべきものではないのです、なぜなら、賢人になったといっても、そうおいそれとはなれなかったので、まず自分がありとあらゆる笑うべきもの、いとうべきものに化肉するという筋道をふんでからでなくては、そんな最後の化肉はとげられなかったからです。名望家の息子や孫で、中学時代から、家庭教師が精神の高貴や品性のエレガンスを教えこんでいる青年たちがいることを私は知っています。彼らは、おそらく、生活をふりかえって、そこから切り捨てなくてはならないものは何もないでしょう、彼らは自分が発言したことをなんでも公表し、それに太鼓判をおすことができるでしょう、しかし、そのじつは、彼らは精神の貧しい人たちです、つまり理屈屋の無力な子孫であり、その賢明さは消極的で不毛です。賢明さは請売りで身につくものではない、誰も代わってやってくれない旅、誰も助けてくれない道のりを歩いたのちに、自分自身で発見しなくてはならないものなのです、なぜなら賢明さとは物の見方なんですからね。あなたが賛美する生活、高貴だとお考えになる態度は、家庭の父親とか家庭教師とかによって準備されたものではなく、まずはじめは、生活をめぐる支配的な悪とか凡俗とかの影響を受けて、まるでちがったとんでもない出発点からふみだしたものであったのです。そういうものが闘争と勝利とをあらわしているわけです。駆けだしのころのわれわれの姿は、いまではとても確認しうるものではないが、いずれにしても不愉快な姿は否定されるべきものではありません、なぜなら、それはわれわれが真に生きてきたというあかしなのであり、実生活と精神との法則にしたがって万人に共通の生活の諸要素から、たとえば画家ならば、アトリエの生活や美術界の党派の生活から、その生活を凌駕する何物かを自分たちがひきだした、というあかしなのですから。」
p.295、マルセイ・プルースト(井上究一郎訳)、失われた時を求めて 第3篇 花咲く乙女たちのかげに II