そして私は現実化することになるだろう、ゲルマントのほうの散歩で、あのように私が欲したことを、そしてあのように私が不可能だと思ったことを、不可能だと思ったというのは、たとえば、ゲルマントのほうからの帰途、母を接吻しないで寝ることに慣れるのはとうてい不可能だと思った、そういうことであり、あるいはまた、もっとのちになると、アルベルチーヌが女を愛しているという考えに自分がなれるのは到底不可能だと思った、そういうことなのだが、結局私はアルベルチーヌと相手の女とのかかわりあいを目に留めなくても彼女が女を愛しているという考えとともに生きるようになった。ということは、われわれのもっとも大きなおそれも、われわれのもっとも大きな希望と同じように、われわれの力を超えたものではなく、われわれはいつかついに前者にうちかって後者を現実化することができるということなのだ。
p.610、マルセイ・プルースト(井上究一郎訳)、失われた時を求めて 第10篇 見出された時