オデットはスワンがついに自分と結婚することになろうとは信じていなかったのであった、あるれっきとした男が最近その愛人と結婚したという話を彼女があてつけるように話すたびに、彼が依然つめたい沈黙をまもりつづけているのを見るか、せいぜいのところ、一歩進んで、彼に向かってうちつけに、「ねえ、自分のためには若い命をささげてくれた女のためにその人がやったことは、とてもすてきなこと、とても美しいことだとは思わない?」とたずねても、「それはわるいとはいわないさ、各人各流だかね」と、そっけなく彼が答えるのをきくのが関の山であった。彼が腹立ちまぎれによく口にしたように、自分を完全に捨てる気であろう、と彼女は思いつめたりしたのだ、というのも、そのすこしまえから、ある女の彫刻家に「男からは何をされるかわからないよ、そりゃ下劣なんだから」といわれていたからであった、そしてこの悲観的な格言の深さにうたれ、それをすっかり自分の身につけてしまい、たえずそれをくりかえしているうちにその落胆したようすは、まるでこういってるようだった、「結局そうなるほかはあるまい、それもこちらの運なのだ」と。そうした結果は「ほれている男にはどんな無理も通せる、おばかさんなんだから」という、今までのオデットの生活を導いてきた格言、しかも、「心配しなくてもいいわ、あの人は何もぶちこわしはしないのだから」というような言葉が伴うのとおなじ意味ありげな格言あばたきで顔にあらわされるのがつねであったあの楽天的な格言からは、効力というものがあぬけ去ってしまったのであった。そんなあいだもオデットは、ある女友達へのひけ目を気に病んでいた、それは自分がスワンと陰で暮らしていたほども長くないあいだを相手の男と暮らしたのちをい結婚した女で、その男とのあいだにまだ子供がなく、いまでは相当に尊敬を受け、エリゼ宮のダンスパーティーにも招待されるようになっていたのだが、その女が、スワンのやり口をどんな風に考えているだろうか、とオデットは気にもんでいたのだ。診断家がノルポワ氏よりももっと目が利く人であったならば、おそらく、オデットの神経を高ぶらせていたものは、この屈辱と羞恥との感情であることや、彼女にあらわれていた邪険な性格は、彼女の本質的な持ち前でもなければ、なおしようのない悪疫でもないことを見立てることはであろうし、また、そののち実現したような療法、つまり新しい生活の体制、正しい夫婦生活のお体制でさえできてしまえば、毎日のようにして起こる、苦しい、それでいてすこしも器質的疾患ではない、数々の症状は、ほとんど魔術のような早さでなくなってしまうであろうことを、たやすく予言したであろう。
p.68、マルセイ・プルースト(井上究一郎訳)、失われた時を求めて 第2篇 花咲く乙女たちのかげに I