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美学的に言って人間のタイプの数はそうたくさんはいないから、スワンがやるように古い巨匠の画面にそれを求めなくても、行く先々で知った人にめぐりあうよろこびが与えられる機会はわれわれにずいぶん多いわけだ。そんな流儀で行くと、バルベック滞在の当初から、私はルグランダンにも、スワン家の門番にも、スワン夫人その人にも出会ったといえるので、たとえば、ルグランダンはカフェのあるボーイに、スワン家の門番は私が一度だけここで会ったある外国の旅行者に、そしてスワン夫人は海水浴場の水泳監視人になっていた。一種の磁力が、人相や精神のある特徴を相互に緊密にひきつけてはなさないので、自然がある人物をある新しい肉体のなかにみちびきいれるとき、大して調和がこわされることなしにそこに合体ができ上がる。カフェのボーイに変身したルグランダンは、その身長、横から見たその鼻の線、顎の一部を、そのままにそなえていたし、男性になり、水泳監視人の地位についたスワン夫人は、人相がいつもの彼女そっくりなだけでなく、話し方の一種のくせまで、そのまま踏襲していた。ただ監視人のほうは赤いベルトを締めて、ちょっと波がたっても、遊泳禁止の旗を掲げるのであって(それというのも水泳監視人は、めったに泳ぐことはなく、ひどく用心深いからなのであったが)、この変身した彼女は、一向に私の役にはたってくれないので、その点は、かつてスワンがエテロの娘の顔立ちの下に愛するひとのおもかげを認めたあの壁画「モーセの生涯」に描かれているのと大差なかった。それに比べて、このヴィルパリジ夫人は、正真正銘の本物で、その魔法をうばいされた惨めな姿になったことは一度もなく、かって百倍にもつかえる魔法の力を自由に私に与えることができ、そんな魔法の力で、まるでおとぎ話の鳥のつばさにはこばれたかのように、すくなくともバルベックでは、私とステルマリア嬢とをへだてている無限の社会的距離を、またたくまにとびこえさせてくれることにもなるだろうと思われた。
p.431、マルセイ・プルースト(井上究一郎訳)、失われた時を求めて 第2篇 花咲く乙女たちのかげに I 土地の名、--土地