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「どんな賢人でも」と彼がいった、「その若いころのある時期に、あとで思い出しても不愉快な、できることならそんな思い出を記憶から消し去ってしまいたちと思う言葉を口にしたり、できることならそんな生活を送ったりしなかった人は、一人もいませんね。だが、それは絶対に公開すべきものではないのです、なぜなら、賢人になったといっても、そうおいそれとはなれなかったので、まず自分がありとあらゆる笑うべきもの、いとうべきものに化肉するという筋道をふんでからでなくては、そんな最後の化肉はとげられなかったからです。名望家の息子や孫で、中学時代から、家庭教師が精神の高貴や品性のエレガンスを教えこんでいる青年たちがいることを私は知っています。彼らは、おそらく、生活をふりかえって、そこから切り捨てなくてはならないものは何もないでしょう、彼らは自分が発言したことをなんでも公表し、それに太鼓判をおすことができるでしょう、しかし、そのじつは、彼らは精神の貧しい人たちです、つまり理屈屋の無力な子孫であり、その賢明さは消極的で不毛です。賢明さは請売りで身につくものではない、誰も代わってやってくれない旅、誰も助けてくれない道のりを歩いたのちに、自分自身で発見しなくてはならないものなのです、なぜなら賢明さとは物の見方なんですからね。あなたが賛美する生活、高貴だとお考えになる態度は、家庭の父親とか家庭教師とかによって準備されたものではなく、まずはじめは、生活をめぐる支配的な悪とか凡俗とかの影響を受けて、まるでちがったとんでもない出発点からふみだしたものであったのです。そういうものが闘争と勝利とをあらわしているわけです。駆けだしのころのわれわれの姿は、いまではとても確認しうるものではないが、いずれにしても不愉快な姿は否定されるべきものではありません、なぜなら、それはわれわれが真に生きてきたというあかしなのであり、実生活と精神との法則にしたがって万人に共通の生活の諸要素から、たとえば画家ならば、アトリエの生活や美術界の党派の生活から、その生活を凌駕する何物かを自分たちがひきだした、というあかしなのですから。」
p.295、マルセイ・プルースト(井上究一郎訳)、失われた時を求めて 第3篇 花咲く乙女たちのかげに II