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人生がわれわれに差し出した一つの映像は、じつはそのようなとき、さまざまにまじりあったいくつもの感覚をわれわれにもたらしていたのだ。たとえば、以前に読んだある本の表紙は、それを目にしたとたんに、その表題の文字のなかに、夏の遠い一夜の月光をさっと織りこんだ。朝のカフェ・オ・レの味は、われわれに晴天のばくとした希望をもたらす。その希望は、われわれが、クリーム状にプリーツがついて、かたまった牛乳のように見えた白磁のボウルで、カフェ・オ・レを飲んでいて、その日がそっくりそのままわれわれのまえに残されていたとき、早朝の不確かな薄明かりのなかで、かつて何度もわれわれにほほえみはじめたのであった。一時間は、一時間でしかないのではない、それは、匂いと、音と、計画と、気候とに満たされた瓶である。われわれが現実と称するものは、われわれを同時的にとりまいているそれらの感覚とそれらの回想とのあいだの、一種の関係なのだー単なる映画の私蔵からはオミットされる関係であって、映画の視蔵は、真実なものだけにとどめようとするから、よけいに真実なものから遠ざかることになるーそれは作家が、自分の文章のなかで、二つの異なる名辞をそれでもってつなぐために見出さなくてはならない唯一の関係なのだ。
(略)
いや、それだけではなかった。もし現実が各人にとってほぼ同一の経験の残り滓、たとえば、われわれが日常の会話で口にしていて、誰にもわれわれのいう意味がわかる、あいにくな天気とか、戦争とか、バスの停留所とか、灯の明るいレストランとか、花が咲いている庭とかいった、そういう種類のものが、現実だとすれば、むろんそれらの物を撮影した一種の映画フィルムだけで十分だろうし、「文体」だの、「文学」だのは、それらの物が提供する手軽なデータからますます遠ざけられ、技巧を凝らした、よけいなつけたしになってしまうだろう。しかも、それらの物がはたして現実であったか?あるものがわれわれにある種の印象を与えるときに、たとえば、ヴィヴォーヌ川の橋を渡りながら、水に映る雲の影に、私がよろこびでとびあがって「ちぇっ!」と叫んだあの日のようなときとか、ベルゴットの口から出てくるある文句をききながら、その本人の印象から私が読みとったものは、何一つ「これはすばらしい」などと、こたさらいうふうにふさわしいものではなかったときとか、相手のいまいましいでかたに腹を立てたブロックが、そのような俗っぽい一件に全然ふさわしくなかった言葉、「ああいうことをやるのも、ぼくはやっぱり、す、す、すてきだと思うよ」を口にしたときとか、あるいはまた、ゲルマント家で歓待されていい気持ちになったうえに、出された上等のワインにほろ酔いきげんになった私が、帰りがけに、一人で、「やっぱり気持ちのいい人たちだ、あのような人たちと人生を過ごすならたのしいだろうに」と、小声でつぶやかずにはいられなかったときとかに、実際に起こっているのははたしてなんであるかを私がはっきりつかもうと試みていたら、私はつぎのことに気づいていたはずだった、
(略)
いや、それだけではなかった。もし現実が各人にとってほぼ同一の経験の残り滓、たとえば、われわれが日常の会話で口にしていて、誰にもわれわれのいう意味がわかる、あいにくな天気とか、戦争とか、バスの停留所とか、灯の明るいレストランとか、花が咲いている庭とかいった、そういう種類のものが、現実だとすれば、むろんそれらの物を撮影した一種の映画フィルムだけで十分だろうし、「文体」だの、「文学」だのは、それらの物が提供する手軽なデータからますます遠ざけられ、技巧を凝らした、よけいなつけたしになってしまうだろう。しかも、それらの物がはたして現実であったか?あるものがわれわれにある種の印象を与えるときに、たとえば、ヴィヴォーヌ川の橋を渡りながら、水に映る雲の影に、私がよろこびでとびあがって「ちぇっ!」と叫んだあの日のようなときとか、ベルゴットの口から出てくるある文句をききながら、その本人の印象から私が読みとったものは、何一つ「これはすばらしい」などと、こたさらいうふうにふさわしいものではなかったときとか、相手のいまいましいでかたに腹を立てたブロックが、そのような俗っぽい一件に全然ふさわしくなかった言葉、「ああいうことをやるのも、ぼくはやっぱり、す、す、すてきだと思うよ」を口にしたときとか、あるいはまた、ゲルマント家で歓待されていい気持ちになったうえに、出された上等のワインにほろ酔いきげんになった私が、帰りがけに、一人で、「やっぱり気持ちのいい人たちだ、あのような人たちと人生を過ごすならたのしいだろうに」と、小声でつぶやかずにはいられなかったときとかに、実際に起こっているのははたしてなんであるかを私がはっきりつかもうと試みていたら、私はつぎのことに気づいていたはずだった、
p.354、マルセイ・プルースト(井上究一郎訳)、失われた時を求めて 第10篇 見出された時