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ああ!どんな高い理性も心のなぐさめとならず、体の調子がよく気分が静かで、なんとなくぶらぶら遊んでいるときだけが心たのしい私、そんな私に、彼のいうことは、なんとあてはまらない気がしたことであろう。自分で人生に望むものがいかに形状学的なものにすぎないかを私はよく感じていたし、理知などなくともいっこうに平気であると思われるのであった。まちまちのみなもとからやってくる快楽、それが深いものか浅いものか、長つづきするものか短いものか、そういった区別をつけることができなかった私は、彼の言葉を答えようとするとき、こう考えた、自分が望ましいのは、ゲルマント公爵夫人と親しくできるような生活とか、シャン=ゼリぜの入市税納付所であったあの有料便所のように、コンブレーを思い出させるあのひんやりとした匂いをたびたび嗅ぐことができるような生活とかであるのかもしれない、と。ところで、さすがにうちあけかねたそんな生活の理想には、理知の快楽などは私にはどんな位置も占めていないのであった。
p.241、マルセイ・プルースト(井上究一郎訳)、失われた時を求めて 第2篇 花咲く乙女たちのかげに I